連載八 コンサートツアーってこんなもの


 最近はほとんど行っていないが、一時期コンサートツアーであちこちに行っていたことがある。コンサートツアーとか演奏旅行と言うと格好いいが、私たちというか、業界ではただ単に「旅」と言っている。バンドマンのスラング(隠語)で言えば「ビータ」である。女は「ナオン」飯は「シーメ」と言うのと同じ、ひっくり返し言葉である。「アゴ、アシ、マクラ」という隠語もあって、アゴは食事代、アシは交通費、マクラは宿泊代のことで、「今度のビータはアゴアシマクラ付きなの?」「アシとマクラは付くけど、アゴは無しね」というふうに使ったりするわけである。

 昔、と言っても十年位前だったと思うのだけど、ニュースステーションに矢沢永吉が出演していて、久米弘がインタビューをしていた時、久米弘が矢沢永吉に「明日はどこでコンサートですか?」と質問をした。矢沢永吉は全国ツアーの真っ最中で、確かスタジオと今日コンサートが終わった場所をつないでの放送だったのだが、矢沢永吉はしばらく考えこんだ後「分かりません」と答えたのであった。私は…この人、バカ?…と思ったのだが、自分がツアーに出てみて、矢沢永吉がバカでないことが分かったのである。

 倉敷に行った時のこと、うちのバンドのドラムスの瀬山君はリハーサルと本番の間、町を散策して有名な河沿いのこれぞ倉敷っていうあたりを見て歩いたりするのだが、私はコンサート会場に入ったら、本番まで楽屋から出られない性格なので一切見ていない。化粧もしなければいけないし、会場に入った時からコンセントレーションをして、コンサートが終わるまでし続けるので、外になんか出られないのである。

 倉敷だけではなく、旭川だろうが仙台だろうが岡山だろうが同じことで、私が見たのは、(その一)空港または駅、(その二)コンサート会場の楽屋と舞台、(その三)ビジネスホテル、これだけである。悲しいことにこの三つは、日本全国どこへ行ってもほぼ同じである。倉敷らしい空港や仙台らしい楽屋や岡山らしいビジネスホテルというものは、存在しないのである。故に、何の旅情も思い出も残らず、移動するだけ都内でやるより大変、という事実だけが残るのである。

 コンサートが終わった後打ち上げをするのだがそれも同様で、かなり大きな地方都市でも夜は早く、コンサートが終わりホテルにチェックインしてさあ飲みに行こうというと、もう十一時近くで、その土地土地のおいしい居酒屋さんはすでに閉店しているので、深夜までやっている東京にもある全国チェーンの居酒屋に行く羽目になるのだ。さらに悲しい時は開いている店すらなく、コンビニでサンドイッチとおにぎりとビールとおつまみを買ってきて、ビジネスホテルのシングルの部屋にメンバー六七人集まって、打ち上げをしたりするのである。

 旭川だけは違っていた。やはり夜の十一時くらいに店を探して歩いていたら、良さげな居酒屋があって入ったら、新鮮な海の幸満載でおいしいの何の、後で分かったのだが有名な店で、翌日は飛行機の時間を遅めにして旭川ラーメンを堪能した、らしい。なぜ断定ではなく「らしい」のかというと、この時私は極度の躁状態でそれ故に極度の不眠症でそれ故に無茶苦茶強力な睡眠薬を飲んでいて、この時のコンサートの記憶が曖昧で、というか旭川に行ったことすらよく覚えていないのだ。「あの時のイクラ丼、おいしかったよね」と瀬山君に言われても、味はおろかイクラ丼を食べたことすら覚えていない私なのであった。

 ピンクレディーとか超売れていたアイドルの人たちが、当時を振りかえって「どこで何をやったか覚えていません」と言うことがよくあるのだが、たった二三日、長くて一週間のツアーしかやっていない私でさえ、どこで何をやったか覚えていないのだから…睡眠薬を飲んでいなくても…当然だな、と思うのだ。全国ツアー中の矢沢永吉も同じことで、全国ツアーなんてどこでやろうが同じ曲目同じ演出なわけで、明日どこへ行くのかしらなくてもマネージャーが連れて行ってくれるわけで、知らなくて当然というか知る必要がないから知らなかったのだ。

 コンサートで色々なところへ行ったと誰かに言うと「いいわね、仕事で色んな所へ行けて、おいしいものとかも食べられるでしょ?」という反応が返ってくるのだが、出張で地方へ行くサラリーマンとは違い、仕事が終わるのが十一時では私のような性格では、日本全国どこも同じなのである。そんな経験をしてからテレビの旅番組なんか見ると…この人たちもお気楽に見えて色々大変なんだろうな…などとうがった見方をしてしまい、一視聴者のくせに余計な心配をしてしまうのだ。

 旅先の思い出はないのかと聞かれれば一つだけある。徳島でのことである。小さなビジネスホテルの場合、深夜はフロントに人がいなくなるので、入口のドアをロックしてしまうホテルもある。そんな時フロントの人は「何時に帰りますか?」とか「すいませんが、一時までには帰ってきてください」とか言うのだ。打ち上げに出かける私たちはそのことを知っていたから、フロントの人に「何時までに帰ればいいですか?」と聞くと「何時でも結構ですよ」と言うので、このホテルは小さいのに二十四時間フロントに人がいるのかと感心しながら出かけたのであった。居酒屋で飲んで深夜二時頃ホテルに戻った私たちを待っていたのは驚愕の情景であった。何と、ホテルのドアは開いていたのだが、フロントにシャッターが下りていたのである。小さなロビーに虚しくカウンターだけがシャッターの下から顔を出していたのであった。

 シャッターつきのフロントって?そんなのあり?

 コンサートツアーの唯一の思い出がこれなんて、悲しいものである。


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