(一)


 1980年代の初め頃、まだカラオケなんて全然無かった時代の話……私は駆け出しの「弾き語り」だった。
 プロになってから丸二年たっていた。その頃の私はまだそれ専門のプロダクションに入っていなかったから、「仕事場」の選り好みなどしていられなかった、「錦糸町」のナイトクラブの仕事が回ってきた……弾き語りになって以来、初めてのホステスのいる店だった。
 そして、そこが、忘れられない思い出の場所になるとは、考えてもいなかった……。

 二十二才の頃、ふとしたきっかけで友人からギターを貰い、コード(和音)の弾き方を四つ教えてもらった、そのコードだけで引ける曲も四、五曲教えてもらった。
 一ケ月後、東中野にあるスナックで、覚えたての曲を歌ってみた、そしたらその店の若いオーナーが出てきて、「毎週土曜日、ここへ来て歌ってくれないか?、一晩に二千円やる」と言った。
 私は心底びっくりした、歌を唱ってお金が貰える……そんな事はそれまで想像力の外だった。

 私はその頃東京は北区の王子、栄町という所に、母と弟と三人で、小さなパン屋の四畳半に暮していた。
 何もかも父親が死んでしまったせいだった。
 中学一年の時に父が死に、住んでいた社宅を追い出され、僅かな貯金も底をつき、私は高校へ行くどころか中卒ですぐ働かなければならないハメになった、職安へ行くと必ず工場を紹介された、中卒の私は、せめて一回でもいいからデスクワークというのをやってみたかった……職安の人にいくらそう言ってもダメだった。
 工場の仕事はどれもこれも辛く、それにつまらなかった。流れるベルトコンベアの前に座って実働八時間、神経と体がクタクタになる……それだけではなく、一番辛く恐ろしかったのは、「もしかすると自分は一生涯、このコンベアの前で一日中同じ事を繰り返し、そしてただ死んでいくのだろうか?」という考えだった。
 一年に一回ぐらいごとに勤める工場を変えてみた、どこも似たりよったり、同じことだった。
 いつ頃かは忘れたが、工場で知り合った中年の女の人に、飲み屋、というのに連れていかれた事があった。今思えば、ああいうのを場末のスナック、とでもいうのだろう、何だかうす暗くて、やたらに真赤な色が、カーテンとかソファーとかに使われていた……。
 「君、いい脚してるね」
 居合せたサラリーマン風の男にそう言われた。
 「アンタ、ウチで働きなさいよ!」
 その店の経営者らしい中年の女の人がそう言った。私を連れていった女の人も同じ事を言った。
 なぜかその時、ひどくムカついた、それに何だか恐ろしかった、「こんな所で働くくらいなら、いさぎよく、コンベアの前で死んでやる」、そう思った。
 私は中学の時、わりと成績が良かった。
 ある日、友達の一人から、中学の時の同級生の女の子が、アメリカのどこかの大学に留学したというのを聞いた、儲かっている寺の娘で、成績は中の下位のコだった。
 私はその晩酒屋に行き、安い焼酎とタバコを買った。焼酎はびっくりする程まずく、仕方ないので水で薄めて、砂糖を入れて、それでも飲んだ、だんだん気持ちが悪くなってきて、おまけに目まいまでしてきた。
 「おまえ……大丈夫なの?……」
 母が恐る恐る訊ねた、彼女は掃除婦のパートをやっていた。一才半年下の弟は何も言わず、ただ不安げに私を見つめていた……。

 東中野のそのスナックで毎週土曜日に歌い始めた頃、私は家のすぐ近所の化粧品工場で働いていた、王子にある有名なメーカーの工場だった。
 仕事は単純で、粉状のおしろいを金属の枠に填めて、いわゆるファンデーション、という状態にプレスして固める……それが私に振り当てられた作業だった。そしてその作業は、今までの工場づとめの中でもダントツの苦しさだった。金属の枠はなぜか異様に厚ぼったく重く、それを右下の床の上にある箱から拾い上げ、プレスして、その後すばやく左下の床の箱に入れなければならない、その間も巨きな丸いプレス機は情容赦なく回り続ける……それを昼休みを除いて一日八時間、週六日、毎日毎日続けなければならない……私は苦しさのあまり時々文字通り呻いた、「人間にこんな事をさせていいんだろうか?」とも思った、それから、古代のガレー船の奴隷の人達とか、「女工哀史」カンケイの本とか、江戸時代の佐渡の水替人足の本とか、とにかくそういうヒサンな人達の事を書いた本の内容を次から次へと思い浮かべ、「今の私の方が全然マシで楽なんだ」と自分に言い聞かせるのだった。

 スナックで土曜日毎に歌い始めると、すぐにお客達が言い出した。
 「こんな所で歌ってないで、銀座とか赤坂とか六本木で、弾き語り、というのをやればすごく稼げるよ……」
 そうか、そんな商売があるのか!?、できることならそれになりたい……私は思った、実際、その店で土曜日に二千円づつもらっても、ほとんどその店での食事代と飲み代で消えてしまい、手元にはほんの僅かしか残らないのだった。
 工場での給料は一ケ月三万四、五千円、あれだけ過酷な労働をさせながら、一ケ月、たったそれだけだった、それに母が掃除婦をして稼いでくる一万八千円、弟はバイトをしながら夜間大学に通っていた。パン屋の四畳半は昼でも電気を付けっ放しにしなければならない程、陽が全く入らない暗い部屋で、そのせいか、家賃は月五千円だった、そんな生活の中でも私達一家は貯金、むろんごく僅かだったけれど、貯金をしていた。
 弾き語り、とかいうのになりたい……いや何が何でもなってやる!、私は決心した。
 しかし、一体どうやればなれるのだろう?まず私は今でいうところのサラ金というのに初めて行ってみた、そこで三万円借り、工場を辞めた。
 パン屋の赤電話から電話帳を見ながら色々なところへ手あたり次第電話してみた。
 まず芸能プロダクション関係……どこも誰も相手にしてくれなかった、話を聞いてくれる人さえもほとんどいなかった、次に有名な企業に……。
 「失礼ですが、どなたに御用ですか?」
 必ず女の人が出て、テキパキとした口調で言った。
 「あの……誰でもいいんですけど、そちらの会社の方で、銀座とか赤坂とかへ飲みに行っている人を紹介して頂きたいんですが……」
 「はあ?、それはどういう事でしょうか?」
 「いや、実は私、弾き語りのオーディションを受けたいと思いまして……」
 「当社ではそういう事は扱っておりません、失礼します」
 電話はそこで切れた。私は多分頭のヘンなヒト、と思われているのだろうなと感じた。 電話攻勢はすぐあきらめた、結局たよりはあの東中野のスナックしかない……。
 私は店に行き、オーナーに頼んだ、「毎日ここで歌わせてもらえませんか?、むろん土曜日以外はタダでいいです、そのかわり、コーラ三本ぐらいタダで飲ませてもらえないでしょうか?」
 オーナーはあっさりOKしてくれた。
 その店の客層は、若くて、あまりお金の無い大学生とか、映画関係の人とか、役者とかカメラマン助手とか……とにかくみんな、いわゆる下積みカンケイの人達ばかりだった。 とにかくコネを作らなければ……私は必死だった、その店で気が向くと適当に歌い、あとはひたすらお客全部に声をかけた。
 「誰か、銀座とか赤坂とか六本木とか、そういう所へ飲みに行ってる人を知りませんか?」
 誰も「そんな人」知らなかった。
 私は焦った、みんな良い人達ばかりなのだけれど、とにかく下積みカンケイなのだ。
 けれど、他にどうしたら良いのか……頭のヘンなヒト、はもうやりたくなかったし……。
 私はレコードプレイヤーもラジカセも、なんにも持っていなかった、当然レコードを買った事も無かった、たよりはテレビと雑誌の付録に付いてくる歌詞集だけだった、それには私でも知っている有名な歌と、その時ヒットしている歌の歌詞が、コードだけ付いて載っていた。
 昼間はそれを見て練習をした、レパートリイがやっと二十曲を越えた……。
 「チャンス」はやってこなかった……一週間、二週間……一ケ月、何の情報も得られなかった、母は「遊んでばかりいないで、働きなさいよ、おまえが遊んでばかりいたら、ウチはどうなると思うんだよ!」、ヒステリックな言い方で私を非難し始めた。
 あと一ケ月、あと一ケ月だけがんばってみよう……私はなけなしの貯金をおろした。
 二ケ月目に入って二週間位した頃、新しく店にきだした大学生に耳よりな話を聞いた。 「俺の先輩が広告代理店で働いているんだけど……」
 「紹介して下さい、お願いですから……」 私はさっそくその先輩という人に、今でいうアポをとった。
 その学生の先輩という人はまだ若そうで、気さくな人だった、私の話をけっこう真面目に聞いてくれた。
 「俺はさあ、あんまりそういうとこ飲みに行かないから良くワカンないんだけどさあ……、うーん、そうだ、サカイさんなら知ってるかもしれないな……ちょっと待って……」 その人は社内電話をかけてくれた。
 「サカイさん今いるから、すぐ会いに行ってみれば?」
 その人は場所を教えてくれた。
 迷路のような巨大なビルの中を、私はサカイさん、に会うためにうろつき回った。
 サカイさんは三十代位の人だった。名刺をくれた、漢字では「栄井」と書くのだと知った。
 「茶でも飲まない?」
 栄井さんはそう言ってビルの中の喫茶コーナーに連れていってくれた。
 彼は面倒見のよさそうなやさしそうな人だった、私は懸命に訴えた、いかに弾き語りになりたいかという事を……。
 「一日コーラ三本で歌ってるんです……」 そう言うと彼は頷き、「かわいそうになあ……」と言った。私は突然涙が溢れてきて、それを止めようと必死になってうろたえた。 「オイ、泣くなよ、こんな所で……俺が若い女ダマして捨ててるみたいに見えるじゃねえかよ……」
 彼はそう言って笑った。
 「俺、毎晩飲んでるけどよ、たまに行く店で、なんか弾き語りを変えたいとか言ってる店があったよな……銀座だけどよ、今入ってる奴かなりうまいよ……お前さん、自信あるの?」
 「全然ありません……でもがんばります、ダメでもいいんです、何とか、オーディションを受けられるようにして頂けませんでしょうか?」
 「よし、わかった、セッティングしてやるよ、ただし、全部お前さんの実力次第だからね、俺は、それ以上の責任は……カンベンしてくれよな」
 私は事情を話し、パン屋の赤電話の番号を栄井さんに教え、くどくどとお礼の言葉を言って栄井さんと別れた。
 三日後、パン屋のおばさんが呼びにきた。 「電話ですよ!」
 栄井さんからだった、来週の月曜日、午後四時にオーディションだ、と言って店の場所と名前と電話番号を教えてくれた。
 「俺は用事があって行けねえけどよ、まあがんばれよ、あ、それから、一応女装してった方がいいんじゃないかな?」
 「女装?ですか?」
 「うん、この間会った時、お前さんジーンズにワークシャツで、俺最初、高校生のオカマが来たと思ったんだぜ、ハハハ……じゃ、そういう事で……」
 私はすぐさま化粧品屋へ行って青いアイシャドウを買った、口紅は一本だけ持っていた三百五十円で買った得体の知れないメーカーのピンクのを……スカートは二枚だけ持っていた、ふつうのと、黒い、とんでもなく短いミニスカートを……。
 オーディションの日、私は口紅を塗り、アイシャドウをつけた……化粧はそれだけだった、そして念のため、とんでもないミニ、を履いた、当時の女の子にしては背の高い私は、顔は十人並、そして脚は抜群という評価がわかっていたからだ。
 オーディションは行われた、男の人三人と女の人一人が聞いてくれた、私は「サマータイム」から歌い出した、次にシャンソンの「ろくでなし」、その後二曲歌った。
 四曲目を歌い終ると、その店のオーナーらしい五十代か六十代か、とにかくすごく年のいった人が、「よし、もういい……来月の一日から来なさい!」と言ってくれた。
 そのあとマネージャーという人と話し合いが始まった。
 「君ね、初めてらしいから、ギャラは月十二万以上は出せないけど……いいだろう?」 一ケ月十二万!、私は夢を見ているのじゃないか?、その時本当にそう思った、しかし顔には出さず、「最初の一ケ月間だけ、週給で戴けないでしょうか……それから、スカート履かなくてもいいでしょうか?」と恐る恐る言ってみた。
 「週給?、いいけど何で?、」
 「最初だけでいいんです、私、今お金が無いんです……」
 「うーん、別にいいけどね……スカートを履きたくないっていうのは、一体何なの?」 大柄で陽気そうなマネージャーは訊ねた。
 「あの……何となくヤなんです、私、歌だけでやりたいんです……」
 「まあ、いいけどね、でも、あんまりキタナイ格好されちゃ困るよ……ウチは色気で売ってる店じゃないけど、一応銀座の会費制クラブなんだからね……」
 「はい、気を付けます……それじゃ来月からよろしく……」
 私はついに銀座の弾き語り、になった!。

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